坂上忍(さかがみ しのぶ)さんの飲酒運転で同乗していた女優はいったい誰なのか?
そして逃亡したというのは本当なのか?
芸能界のご意見番と言われる坂上忍さんの飲酒運転について、そしてその時に同乗していた女優は誰なのか?
逃亡したとの真相は?にまでみっちり迫っていきたいと思います!
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坂上忍が飲酒運転で事故!カーチェイスで逮捕と逃亡劇の真相!
今やテレビで見ない日がないぐらい引っ張りだこの坂上忍さん。俳優、演出家や映画監督、司会者、コメンテーター、エッセイストとしてマルチに活躍し、かつてはロック歌手としても活動していました。
40年以上のキャリアがある坂上忍さんですが、実は飲酒運転で事故を起こしカーチェイスで逮捕されるという衝撃の過去の持ち主だったのです!
1995年1月14日の深夜にその衝撃の逃亡劇は繰り広げられます!その夜、坂上忍さんは友人の俳優・川野太郎さん宅のホームパーティーに参加していました。帰りは同伴の女優が車の運転をする予定だったので、川野さんも安心してお酒を勧め、坂上忍さんはそこで升酒を4杯ほど飲み干します。
帰り際、ひと目で泥酔状態と分かるほどの千鳥足であったにもかかわらず(酔った勢いからか)坂上忍さんは自らハンドルを握ると言いだし、同伴の女優を助手席に乗せ運転をします。
その帰宅途中に世田谷区内の道路脇の電柱に激突。コンクリートの電柱を根元から折るほどの大事故で、当時乗っていたベントレーは大破。事故の際の物凄い音にびっくりした近所の人たちが駆けつけ見守る中、坂上忍さんは車から降りて一旦姿を見せたものの、何を思ったのか再び車に乗り込み逃亡を図ります。
車はフラつきながらすぐにまた駐車中の車に激突し、割れた窓ガラスを落としながらフラフラと進んで行きます。そこへ住民の110番通報で駆けつけたパトカーに追跡され約20分間にも及ぶカーチェイスの末、酒気帯び運転で警視庁北沢警察署に現行犯逮捕されたのでした。
逮捕された当時、坂上忍さんは27歳でした。
坂上忍の飲酒運転で同乗していた女優は誰?女優の彼女との経緯について!
幸い人身事故ではなく器物破損という物損事故だったのですが、事故が元で同乗者の名前が発覚!女優の彼女との恋愛スキャンダルにまで発展してしまいます。
その時に同乗していた女優の彼女とはいったい誰なんでしょうか?
女優の彼女との経緯やその後の2人についても調べてみました。
その女優の彼女とは、ファッションデザイナー・山本寛斎(やまもと かんさい)さんを父親に持つ山本 未來(やまもと みらい)さんです。
山本未來さんは1974年11月4日生まれで東京都出身。
父・山本寛斎さんの異母弟である俳優・伊勢谷友介(いせや ゆうすけ)さんは年下ですが叔父にあたります。
American School In Japan卒業で英語が堪能。1990年に行われたアミューズのオーディションで36,000人の中から選ばれ、映画『喜多郎の十五少女漂流記』にて女優デビュー。その後も国際色豊かな作品や、ジャッキー・チェン監督映画『WHO AM I』や映画『不夜城』などでヒロインを務めます。
坂上忍さんとは事故に遭う2年前・1993年に舞台で共演し知り合います。
しかし結局2人の恋は実らず、坂上忍さんは2001年1月にキャビンアテンダントと入籍。しかし2003年2月には自身の過剰なまでの潔癖症、10代の頃から競艇場通いを続けるほどのギャンブル好き、そして仕事の忙しさからくる生活のすれ違いなどを理由に離婚。
一方の山本未來さんは2003年に俳優・椎名桔平(しいな きっぺい)さんと結婚し、現在は1児の母となっています。
事故後の謝罪会見とその後の坂上忍!
逮捕後、坂上忍さんは北沢署で事情聴取を受け、その日の夜9時に釈放されます。
その時に駆けつけた所属事務所社長の母親に「ごめん。悪いことをしてしまった。これで僕の役者生命が絶たれてもしょうがないなあ」とかなり落ち込んだ様子だったといいます。
またこの事故で坂上忍さんは前頭部と右肩を打つ軽いケガを負ったものの、同乗の山本未來さんは無傷でした。
後日行われた謝罪会見で坂上忍さんは「電柱のところで右に行くか左に行くか迷っているうちに、車が1台駐車していたため、とっさにハンドルを切ったら電柱が目の前で。その後は頭が真っ白になって……」と事故当時の様子について話しています。
事故後、半年間の謹慎期間中に父親の勧めで小説『みのつく女』を執筆・刊行。(この題名は「名前に”み”がつく女」という意味で、坂上忍さん自身がそのような女性と交際する機会が多かったことに由来するそうです)謹慎終了後の1997年には『30 thirty』で初めて映画監督を務め、徐々に芸能界に復帰していったようです。
毒舌キャラ&ご意見番としての坂上忍の立ち位置
3歳から劇団に所属し、テレビドラマの子役としてデビューした坂上忍さん。天才子役と言われ、以来テレビや映画、舞台などで大活躍。また自身の経験を生かした、芸能スクール・アーティストの発掘・育成プロダクション「アヴァンセ」キッズアクタープロダクションを開校し子役の育成にも力を入れています。
しかし再ブレイクで坂上忍さんを知った人たちは、毒舌キャラ&芸能界のご意見番というイメージの方が強いのではないでしょうか?
坂上忍さんは2012年、フジテレビ『笑っていいとも!』内のコーナー「行列のまったくできない人生相談所」へ出演した際に「ブスは嫌い」と毒舌を吐いたことがきっかけで、バラエティ番組の出演が相次ぐようになります。
その『笑っていいとも』が2014年3月31日の放送をもって32年に渡る歴史に幕を下し、翌4月1日からフジテレビの新しい昼の帯番組となった『バイキング』の月曜MCとして坂上忍さんが抜擢されます。番組開始から1年間は総合MCが不在だったのですが、翌2015年3月30日から坂上忍さんが総合MCを務めることになり、名実ともに「フジテレビのお昼の顔」となりました。
しかし、大相撲の十両・大砂嵐(おおすなあらし)さんが2018年初頭に無免許運転による交通事故を、また同年の9月に元「モーニング娘。」でタレントの吉澤ひとみ(よしざわ ひとみ)さんが飲酒ひき逃げ事件を起こした際に、坂上忍さんが「バイキング」の番組内において辛辣なコメントで2人を批判。
そのことで、自身の事件を引き合いにTV視聴者や記者から猛烈な反発を浴び、またネットでも坂上忍さんに対する厳しい意見が飛び交いました。
20年以上も前の事件とはいえ、半年の謹慎だけで復帰し、自分と同じ加害者の立場の人を批判する事はなかなか理解が得られることではないでしょう。
坂上忍のプロフィール
ここでは簡単な坂上忍(さかがみ しのぶ)さんのプロフィールを紹介します。
出 生 地 :東京都杉並区
血 液 型 : AB型
4歳上の兄(元子役で現在は映画プロデューサーの坂上也寸志さん)が劇団に入っていたところ、祖母の死をきっかけに閉じこもりがちになった坂上忍さんを心配した家族が友達を作らせるため、3歳から劇団に所属させます。
それを機に、テレビドラマの子役としてデビュー。
しかし家庭面では、競艇狂いの父親・勝也さん(坂上精一郎名義の小説『歳月のかたみ』を代表作とする作家・2012年没)が出版社経営に失敗し倒産。
さらにギャンブルで多額の借金を抱えたため、小学校の高学年から中学校時代にかけて暴力団が自宅まで借金の取り立てに押しかけに来るという環境で育ちます。
15歳の時に両親が離婚。母親に引き取られるのですが、母親が父親の連帯保証人だったため中学までで辞める予定だった子役の仕事を、1億円以上の借金返済のために続けることに。
有名人ゆえに学校でたびたびいじめを受け、自殺を考えたことは100回以上。14歳の時に個人事務所を立ち上げ、中学卒業後もテレビ・映画・舞台などで大活躍します。
芸能活動で卒業に必要な日数を出席するのが困難と判断し東海大学付属高輪台高等学校に入学するのですが、入学式初日に体育館で取っ組み合いの喧嘩の末、退場。そのまま自主退学してしまいます。
10代の頃は子役のイメージから抜け出すのに苦しみ続けますが、映画『クレイジーボーイズ』(1988年)のヤクザ役が転機になったそうです。
坂上忍の飲酒運転で同乗していた女優は誰?逃亡したとの真相は?まとめ
今回は坂上忍さんの飲酒運転の事故について、そして同乗していた女優は誰なのか?逃亡したとの真相?について調べてみました。
この事件を知った事で、これからの坂上忍さんの見え方が変わってくるかもしれないですね。